食べ物を作る基本となる第一次産業の衰退

第一次産業が全ての産業の源であることを忘れて、第一次以降の産業に注力してしまった。
だから短期間で莫大な利益をあげることができた反面、日本の自給率は先進国でもダントツの低さ。
いくら加工技術や流通、販売が優れていても肝心の原材料が輸入頼みでは常に外国の顔色をうかがいヘコヘコしなければいけません。
日本が取るべき行動は、第一次産業に従事する者には国が経済的な支援をするべきだったのではないでしょうか。

さて話を農業に戻しますが、農業に使う機械は軽く数百万はします。
さらにすぐ調子が悪くなるのでメンテナンスも必要ですし、燃費も悪いので維持費もかかります。
朝から晩まで作業しなければなりませんが、高い機械を使うことで労働力を軽減することができます。

ただ一部の裕福な家庭や企業しか機械を保有することができず、
ほとんどの農家は効率の悪い安い機械を購入するか高い機械を複数の農家で共同購入して使い回しています。
といっても今では高齢化や後継者不足で、共同購入しようにも出来ないというのが実状ですが。

楽をするためには高い機械が必要ですが、高い機械を買うにはお金が必要。
そのお金を普通の農家では用意することができない。共同購入しようにも、周辺の農家がみんな辞めてしまい購入できない。
だから身体が動かなくなるまで農作業をするか、そうなる前に手放すかの二択となってしまうわけですね。

食事ぐらい好きなように食べたい

ちなみに父はリーダーとしての素質を備えていながらも常識のある人でした。
本当のリーダーとは単に引っ張るだけでなく、調和させる力を持つ人だと考えています。
この場合では「たくさん食べさせたい叔父」と「あまり食べたくない子」という双方の立場を立てるために
親戚の意味不明な発言に対して、波風を立てないよう一定の理解を示しつつ、自分に対して強要することは一切ありませんでした。

自分は小食なことに加えて量より質を大事にしたいため、必要以上に食べることはしたくありません。
やろうと思えば可能ですが食後の苦しさが嫌ですし、質の低い物をたくさん食べるぐらいなら質の高い物を少し食べたいので。
それと食べる速度が非常に遅く、物をゆっくりよく噛んで食べるので他人と食事する時間を合わせにくかったりします。

勿論、量が多いほどいいという考え方についても一理ありますし、それ自体は否定しません。
それを他人に対して強制するのは「常識がないのかな?」と感じました。食事に対する考え方は人それぞれですから。
本当に常識のあるリーダーというのは、自身の考えを他人に強制しないのではないでしょうか。

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